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女装界が「多様性のある本来の姿」になるために持つべき4つの視点

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価値観と価値観のぶつかり合い。
正義と正義のぶつかり合い。
これらは、女装界のみならず、マジョリティの世界、
いろんなある一定の枠で区画にされたそれぞれの世界の中である
「人間の宿命ともいえる価値観戦争」なのです。
しかし「女装」という「極めて既存の価値観にとらわれない解放のメタファー」ともいえる行為
を行う女装人たちが形成する女装界は本来「多様性のある平和で楽しい社会」であるはず。
そんな社会実現に必要な「多様性のある本来の姿」になるために持つべき4つの視点をご紹介!

こんな方におすすめ

  • 「多様性」について知りたい方すべて
  • あぁ・・・なんか最近ギスギスしてんなぁって思っちゃってる人
  • 基本的に平和で楽しく遊び続けたい人が確認しておきたい
  • LGBT論を語ろうかなとか考えてる人
  • 大学生で「自由」に関する論文を書こうかなとか思ってる人

女装界が「多様性のある本来の姿」になるために持つべき4つの視点

私は10年間女装界とみてきて、またB面でも様々な業界や会社をみてきた。
総じて、人の悩みやストレスは「人間関係」にあります。

・誰もわかってくれない
・自分の思うようにいかない
・あいつが嫌い

これらのストレスフルな感情はすべて「人間の価値観戦争」による粉塵のようなもの。
この記事を見て、少しでも多くの女装人がくだらない価値観戦争に終止符を打ち、
「初めて女装と触れたあの日、少年のようにキラキラしていたあの日を思い出してほしい」と心から願います。

女装が多様性の象徴なのに、その社会である一部の女装界が実は多様性とは真逆の状態・・・

そんなの悲しいじゃないですか。
ということで、女装界が「多様性のある本来の姿」になるために持つべき4つの視点をご紹介。

あくまでこれは私の考え方。
こうなんだ!と押し付けるつもりはないよ。だって押し付けた瞬間に多様性はなくなっちゃうから。
多様性とは「許容」なんだよ!さ、詳しくみていきましょうね💛

 

「嫌い」を再定義してみよう。好きの反対は無関心。嫌いと好きは同じ。

まぁそもそも女装人は解放されているべきなのか?
解放されていない女装人も女装人ではないのか?
価値観に凝り固まって、合わない人間をすべて排除する生き様も、いいのではないか?
という疑問が起こるかもしれないですね。

その疑問に対しては、はっきりと言いますが、「それもOK」なんですよ。

これ別に女装界だけじゃなくて、人が集まる場所=社会、コミュニティにおいては、絶対に起こりますよね、
「誰が嫌いのぶつけ合い」

でもここではっきり言っておきますが、
嫌いという感情は、好きの感情とほぼ同じです。

「嫌い=好き」⇔「無関心」

のはず。

そう、実は「誰が嫌い」とかよく言う人に限って、人に興味があるのです。
「人が嫌い」という人に限って「人が好き(実は)」なんですよ。

だから実は「誰が嫌いばっかぶつけ合い社会」というのは、
実はほんのちょっとの「感情のプラスマイナスの掛け違い」
が起こってるだけで、実は結構「人間味のある社会」であることは間違いありません。

だから私は「誰が嫌い」とか言いまくってる人もお友達にいますが、その人のことを嫌いでは一切ないし、
むしろ「なにかのボタンの掛け違いで一気にそれが好きに変わるだろうな」と思っているくらいです。

世の中は「嫌いだったらダメ」っていう感覚が蔓延していますが、
別にいいじゃないですか。「嫌いって言われるのは、好きって言われてるのとほぼ同じ」だと解釈しましょうや。

・誰かに嫌われるのは何が悪いのでしょうか?
・誰かを嫌うことは何か悪いのでしょうか?
・みんなのことが大好きなそんな人本当にいるんでしょうか?

嫌いに対するイメージを変えましょう。
嫌いは好きと同じ。
嫌いは好きと違って、「関心はあるけど、好意的ではない」という状態。

好意的ではないのに、なぜわざわざその正義感や価値観を
振りかざす必要があるのでしょうか?
そっとしておけばいいんですよw
好意的でない相手のために時間を割くほど、人間の人生は長くありませんよ。
好きな人ともっと多くの時間を使うほうが幸せなはずです。

それだけで、
「誰が嫌いばっかぶつけ合い社会」でも、殺伐とした空気はなくなるはず。

でもね、「嫌い」は「嫌い」でもそれを押し付けるとなると話は別になってくるんですわ。

 

 

「思う」は自由。「押し付ける」は自由ではない。

そう。
思うのは自由だけど、その思想に基づいて何か行動することとは
天と地くらいの隔たりがあるんです。

つまり、

・「おれ、あいつ嫌い」→OK
・「おれ、あいつ嫌い。だからお前も嫌えよ」→×

ということ。

これは好き嫌いという価値観だけにとどまらず、

ア「おれはこうあるべきだと思う」→○
イ「おれはこうあるべきだと思う。だから、こうでない人は嫌い」→○
ウ「おれはこうあるべきだと思う。だから、こうでない人は排除する」→×

ア・イとウの大きな差は、
「価値観を強制しているかいないか」にあります。

でもウだってこうなれば○です。

ウ’「おれはこうあるべきだと思う。だからこうでない人は排除したいと
思っている人たちの間では排除する」→○

ウ’はいいんじゃないですかね。
自発的に「こうでない人を排除したいと思っている人同士」が
結びつく。これが社会の原型だから。

女装ワールドでも、何度も申し上げていますが、
やっぱり大事なのは自発性なんです。

こうしたい!
やりたい!

という自分の心の中から出てきた純粋なモチベーションです。

「好き」とか「嫌い」とか、大事なのは「自分自身にとってどうなのか」だと思います。

たとえば、
AさんがBさんを嫌い。でも私はAさんもBさんも好き。
BさんはAさんに嫌われてるけど、BさんはAさんのことを好き。
こんな状況があっても。いいじゃないですか。

嫌われてるからって、自分までその人を嫌う必要はないし。
誰かが嫌ってるからって、自分までその人を嫌う必要もない。
それが個人個人の価値観を尊重するということ。

個人の自発的な感情は、誰にも制限できません。
それが今の社会の根本的なルールです。
思想・良心の自由ですよね。

 

 

この世で正義を決められるのは「裁判官」のみ!正義を決めるのは裁判官の仕事。誰かの正義を誰かが否定しそれを矯正する権利は誰にもない。

社会というのは、いろんな価値観の集合体です。

・生まれた場所、育った環境、出会ってきた人は10人いれば10人とも異なる
・大切だと思うもの、事柄、人10人いれば10人とも異なる
・どこかが一致していても、必ず異なる

十人十色。

でも、社会というのはある一定のルールを設定しなければ、
ホッブスもいうように、「万人の万人に対する闘争状態」になるので、
一応今のところ、日本国では「立憲民主主義」のもと、
法律は守ってね!んであと、モラルみたいなのはそれなりに合わせてね!
みたいな最大公約数(多数派論理)で最低限のルールが決められて、
そのうえでみんな自由に生きてるわけです。

自分の価値観は自分の価値観。
と同時に、それは数多くある価値観のひとつに過ぎない。
そして、第三者の価値観は第三者の価値観。
それも数多くある価値観のひとつに過ぎない。

そして、法令以外のモラル、その他価値観に関しては、
誰もが自由にそれを持っていていいんです。
それが合う人とは友達になりやすいし、
合わない人とは友達になりにくい。
ただそれだけのことだと思います。

だって、誰もが社会のone of themなんだもの。

クリハラチアキ
one of themというのは。「数ある中の1人」という意味。
ワンオブゼムと呼びます。流暢に読むとすれば「ワノブセム」と読みますw

この社会の中で、「白黒はっきりつける」役割は裁判官だけでいいのです。
誰かの思想良心を制限できるのは、裁判官だけでいいんですよ。

そう。個人個人の価値観ぶつけあい論争は、
ひとりひとりが「私は私だが、相手も相手。思うのは自由だし、
それで争ったところで何も起こらない」と自覚するところから、終止符への道が開かれます。

私は基本的に、めちゃくちゃ仲のいい友達ですら、
仮に何かの争いに巻き込まれていたとしても、一切関わりません。
だって、そんなの無駄でしかないから。

たしかに、何かが生まれる論争や争いだってあります。
私はそういうのまでは否定しません。
誰かの迷惑守るために、あえて争いという手段をとる。
争いという手段でしか、それを達成できる手段がないのであれば、
それは仕方がないことだと思います。
中には、「話し合いじゃわかりあえない」人もいますからね。

冷たいって言われる人もいますけど、
逆にいえば「そんなくだらない争いに巻き込もうとしてくる人って、
本当に友達なの?そんなのに平気で巻き込んでくる人のほうが
逆に冷たいでしょ」って私は思いますけど、どうでしょう?

とか言っている、この私の意見ですらone of themですからねww
これが100%正しいとも思わないです。
少なくとも、「私はこう思う」ことにしかありません。

それに共感する人、共感できない人が出てくる。
ただそれだけのことなんですよね。

人は自分の価値観を絶対視してしまいがちな生き物です。
でも、一歩だけ冷静になって、
自分の意見だってone of themなんだ。
相手の意見だってone of themなんだって思うだけで、
価値観論争は大きく減るような気がします。

もし意見や違う正義の人と出会ったとき、ちょっと立ち止まって考えてみて💛

あなたが正しいと思ってることが、誰もが正しいと思うとは限らない。
あなたがあなたの意見を正しい!!!と思っているのと同じように、
意見が違う人だってその人が生きてきた人生の中で正しいと信じてる正義があるの。

それが正しいかどうかを判断するのは裁判官だけなの。
それ以外は、誰にもそれを断罪する権利なんてないの(*^^*)

 

人は誰もが完璧ではない。誰かが失敗したときそれでもって責め立てることができるのは完璧な人間だけ。しかし、完璧な人間などいないのだから、人は人にやさしくあるべきなのである。

最後4つめ。

それは、人は誰もが完璧な存在ではないということです。

仕事でもそうですが、何かの失敗を誰かがしたとき。
それを完全に責め立てたり、徹底的に追及しようとする方がいます。

でも、それってどうなのでしょう?

人間は誰もが完璧な人間ではないということは、
その責め立ててる人自身が人生のどこかで必ず失敗をしています。
なのに、ほかの人の失敗に対しては寛容ではない・・・?
何か疑問が残ります。

人はだれかに許されて生きています。
なのに、自分だけ誰かを許さないという態度はどうなのでしょうか?

私自身も、ストレスフルな状態のときや、せっぱつまっている状態のとき、
人に対するやさしさを忘れてしまいがちです。

人間なので、ロボットのように常に感情を保つことは不可能だと思います。
でも、根底で「人は誰もが失敗をする。人にやさしくあろう」と思っておけば、
冷静になったとき、行動を改めることができます。

人間はだれしも完璧ではない。
だからこそ、誰もが人の失敗に対して寛容であるべきであり、
人にやさしくあるべきなのです。

人生はブーメランです。
人にやさしくされる人は、人にやさしくしています。
人にやさしくされない人は、人にやさしくしていないのです。

人に愛される人は、人を愛しています。
人に愛されない人は、人を愛していないのです。

完璧な人間なんていない。
あなただっていっぱい失敗もする。
同じようにみんなもいっぱい失敗する。

誰かが失敗したときそれを責めたり恨んだりすることは簡単。
でもそれを許せる心を持てれば人として何枚も大きくなれるんじゃないかなぁ(*^^*)

でも、何かを守るために戦う場合だってあるので、その際はこの限りじゃないけどね!

 

 

まとめ:私たちはヒトじゃなく、人「間」(にんげん)なのだ。不確実な世界の中で、揺らぎある世界を生きている。多様性とは、揺らぎの許可。人にやさしく。

いかがでしたか?

・好きの反対は無関心。嫌い!と思うことは、好きと同じ感情。

・思うと押し付けるは全然違う。

・正義を決めるのは裁判官だけ。正義の否定と矯正をする権利は誰にもない。

・人は誰もが完璧ではない。人にやさしくあれ。

この4つの視点を持つだけで、女装人一人一人が持つだけで、
多様性のある女装界はいとも簡単に実現できるでしょう。

といっても・・・

ここは非常にパラドキシカル(逆説的)ですが、
この4つの視点もあくまで私の意見。
これが正しい!!!!!とすべてに適用できるとも思いません。
共感していただける方だけ、共感していただければなー💛と思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。



  • この記事を書いた人

クリハラチアキ

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