LGBTトイレやジェンダーフリートイレは、もはや完全に形骸化しました。
「一部のLGBT団体が騒いでいましたが、まったく当事者の意見を取り入れず
地に足がついてない机上の空論を声高に叫んでいただけだった」ことが
証明されたわけですが、別に彼らを責めるつもりはありません。
人類は過ちを犯しながら、またそれを改善し、より高度な社会を築ける知能を持っています。
ジェンダーフリートイレの過ちと、男女別トイレの是非・マジョリティとマイノリティの弊害など
いろいろとトイレ視点で書いてみました。
トイレ大好き!(変な意味じゃないよん💛)
LGBTトイレ、ジェンダーフリートイレという虹色のトイレはですが、
アメリカの学校で性的少数者(セクシャルマイノリティ)に
ケアしたジェンダーフリートイレの導入が決められて、話題になりました。
出典元:www.afpbb.com
米国でトランスジェンダー(性別越境者)の人々のニーズを受け止めようという
傾向が全国的に強まっている中、カリフォルニア(Californa)州サンフランシスコ(San Francisco)の小学校が
男女別のトイレの段階的廃止という全米でもあまり例のない取り組みを始めた。
サンフランシスコにあるミラロマ小学校(Miraloma Elementary School)の
サム・バス(Sam Bass)校長は声明で、男女別トイレの廃止は、
男女どちらの性にも合致しない児童が8人いることを認識しての措置だと述べ、
「児童全員に安心感を持ってもらいたいだけではなく、全員が一様に平等であることを理解して
もらいたいとの狙いもある。児童たちに貴重な教訓を教える機会だ」と語った。
このニュースを見て私は「なんてナンセンスなんだ」と思ってしまいました。
男女別トイレを廃止してまで、ジェンダーフリートイレを設置するべきではない!
その理由とは?
そもそも、男女別トイレはなぜあるのか?
まず、当たり前のようですが、根本的なところから考えてみます。
そもそも、なぜトイレを男女別にしているのでしょうか?
それは、
・異性に排泄行為を見られたくない
・異性が排泄行為をするのと同じ場所を使用したくない
からです。
排泄行為を行うトイレにおいては、男女別でない男女共用トイレであれば、
便器自体は独立した空間であっても、トイレという空間内で男女が同時に排泄行為を行う場合も想定できます。
また、一度異性が使用したトイレを使用するというのも嫌悪感、抵抗感があるのです。
なので、男女別トイレが存在し、男女共用トイレというのは
あまり支持されていないのです。
ましてや男女別トイレに異性が立ち入ることなどもってのほかなのです。
男女共用トイレを支持しないという理由として女性側、男性側それぞれからこんな意見があげられていました。
出典元:sirabee.com
<男女共用トイレを支持しない理由>
・30代女性
「もしかしたら、さっきの男性が隠しカメラを仕掛けたり、
のぞいたりしているかも…などと思って怖くなるから」・20代女性
「男がここでさっきまで股間を出していたと考えると、やっぱりちょっと気が引ける」・50代女性
「単純に、男性はトイレの使い方が汚い、というイメージがあるから」・30代男性
「女性特有のゴミの臭いが苦手で、女性の使用後だと汚物入れのフタが
開いていたりするかもしれないから」・20代男性
「以前、女性の後にトイレに入ったら赤いものが便座にベットリついていて、トラウマになったから」
など、異性に排泄行為を見られたくない、または
異性が排泄行為をするのと同じ場所を使用したくないという具体的な理由があげられていました。
とどのつまり、女性が男性トイレを利用する、あるいは男性が女性トイレを
利用することによる弊害をなくすために男女別トイレは存在しています。
今回のジェンダーフリートイレは、形式上、ジェンダーに
とらわれないトイレではありますが、男性も女性も同じ場所を使用するので、
実質は男女共用トイレということになります。
なので、男女共用トイレ=ジェンダーフリートイレとして話を進めていきたいと思います。
話を元に戻して、この男女別トイレによって、トランスジェンダーの方々が弊害を受けているのです。
社会の規定する男女別に性自認と無関係に合わせなければならない精神的苦痛
しかし、この男女別トイレによってトランスジェンダーの方は弊害を受けています。
今回、トランスジェンダーの方々に関して、
ネイティブ性別(身体的特徴、生まれてきた性別)と、
こころの性別(性自認)が一致していない方に限定してお話します。(※1)
こころの性別が社会の規定する男女別と一致しない状態で、
社会においては男女別に合わせることを強要されます。
それにより、トランスジェンダーが精神的苦痛を受けるという弊害があるのです。
たとえばネイティブ男性でこころがトランスジェンダーさん
(いわゆる女性になりたいGIDさんのこと)がいたとします。
この方は、男性用トイレではなく女性用トイレに入りたいはずですが、
「男性用トイレの使用を強要されてしまい精神的ストレスを受けてしまう」という弊害です。
身体は男性として生まれ成長してきましたが、こころは完全に女性なのです。
女性なのにもかかわらず、男性トイレを使用することのストレスは大きいことは想像に難くないでしょう。
今回の米の男女別トイレの廃止は、こういったトランスジェンダーの方の弊害をなくすために、
ジェンダーフリー(ジェンダーレス)トイレ(男女別という概念のないトイレ)を作ろうとしているのです。
しかし、このジェンダーフリートイレ、トランスジェンダーの方々の精神的苦痛という弊害を
なくすための解決策としては少し的外れな気がします。
トランスジェンダーがそもそもジェンダーフリートイレを望んでいないかもしれない
トランスジェンダーの精神的苦痛という弊害をなくすためにジェンダーフリートイレを導入
するということですが、それにより、トランスジェンダーの方々の精神的苦痛は本当に緩和されるのでしょうか。
現在、社会的役割としての性(ジェンダー)は、ネイティブセクシャリティによって基底されています。
要は、本人の性自認に関係なく、男性器がついていれば、男性らしい行動を求められ、
社会のルールも男性として従わなければなりません。
たとえば、女性志向のトランスジェンダーの方は、「男性から女性に戸籍変更」をしなければ、
女性用トイレを使用することは法的にはできません。
そしてこの戸籍変更は、SRS手術(性別適合手術)により身体的特徴を女性化しないと認められません。
話を元に戻して、トランスジェンダーの方は、性の不一致を解消するために、ジェンダーフリーを望んでいるのか?
ジェンダーフリーというのは、「男女ジェンダーをからだの男女で決めないようにしよう!」という動きのこと。
というこれまでの考え方ではなく、からだの性別男女ともに、
自分がなりたいジェンダーありたいジェンダーを選べる社会にしていこう!という考え方。
よく混同されやすいジェンダーレスというのは、「ジェンダーそのものを否定」し、
男女ともに同じでいいじゃん!(に近しい)考え方。
つまりジェンダーフリーはジェンダーを否定せず、男女ともに自由に選べるようにしよう!
なのに対して、
ジェンダーレスはジェンダーそのものを否定する。
こころが女性のトランスジェンダーの方は、ネイティブセクシャリティ(男性)と
こころの性別(女性)の不一致を解消するために、ジェンダーを女性にしたいのです。
からだの性じゃ男性だけど、社会的には「女性」でありたいのです。(こころが男性の場合逆)
社会全体から男女別ジェンダーというものが消えない限り、男女別トイレだけを
ジェンダーフリーにしたとしても、「トイレのジェンダーフリー」それ自体が、
社会全体の男女別ジェンダーと対比的になり、「トランスジェンダーのためのジェンダー」となってしまうのです。
これでは、ジェンダーを男女別にあわせることができないため、トランスジェンダーの方々の精神的苦痛を緩和することはできません。
トランスジェンダーの方がみな、ジェンダーフリーをのぞんでいるとは限らないのです。
なので、今回のジェンダーフリートイレの導入は、必ずしもトランスジェンダー全員がそれを望んでいるという
わけではないので、トランスジェンダーの方々の精神的苦痛という弊害をなくすための解決策としては少し的外れな気がするのです。
ジェンダーフリートイレ導入によるマジョリティの弊害も無視できない
ジェンダーフリー論においては、はマジョリティの弊害も考えなければなりません。
既存の社会的な役割としての性であるジェンダーですが、これによって現在の社会が機能しており、
今のところそれが社会を一番効率的にまわす方法だからこそ、男性と女性という2分があり、マジョリティはその2分の中で生きているのです。
今回のような男女別トイレを廃止し、ジェンダーフリートイレを導入するというのは、
マジョリティの精神的苦痛を考えていない気もします。
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「男女別トイレはなぜあるのか?」の部分で、男女共用トイレの弊害を述べました。
「異性に排泄行為を見られたくない」または「異性が排泄行為をするのと同じ場所を使用したくない」などの意見がありましたね。
男女別トイレを廃止し、ジェンダーフリートイレを導入することによって、こういったマジョリティの一部は弊害をうけることになります。
どのくらいの比率のマジョリティが精神的苦痛を受けるかどうかはわかりませんが、
男女別トイレを廃止するコストなどを考えても、男女別トイレの廃止はすべきではないと思います。
だからといって、男女別トイレのままであれば、現状通りトランスジェンダーは精神的苦痛を受けます。
トランスジェンダーの精神的苦痛という弊害、
マジョリティの弊害の両方をできる限り軽減するようなバランスのいいトイレの解決策はないのでしょうか?
男女別トイレ廃止してまでジェンダーフリートイレにするのではなく、付加的に設置するorトランスジェンダーに選択肢を与える。現に大阪ではLGBTトイレは大失敗に終わっている。
本記事の結論としては、
「男女別トイレを廃止すべきではない(今のところ)
そして、ジェンダーフリートイレは不要」ということ。
ここまでをまとめて、
・男女別トイレの廃止によって、マジョリティが弊害を受ける
・男女別トイレ廃止のコストがかかる
・男女別トイレの廃止が必ずしもトランスジェンダーの精神的苦痛を緩和するものとはならない
このような理由からです。
現に大阪ではLGBTトイレ、大失敗してます。
大阪市は男女どちらでも使える「多目的トイレ」にLGBTを象徴する虹色のステッカーを貼ったが、当事者から批判を受けて取りやめた。
批判の高まりを受け、大阪市は3月にステッカー表示を取りやめることを決めた。吉村洋文大阪市長は4月の記者会見で「当事者の声を聞くことがまず大事だ。何もしないというのが一番良くない」と述べ、今後もLGBT政策に取り組むと強調する。
しかし本記事冒頭でも述べたように、失敗を責めてはいけない。
LGBTトイレという話題で、LGBT認知にとってプラスの社会認知効果はあっただろうし、
当事者たちも「良かれと思って」やったはずだ。
この失態にLGBTの一部は感情論で失敗を攻め立てているが…
多様性という許容を求める側が、許容を失ってどうする。
必要なのは感情論ではなく、「どうすれば社会的にLGBTがトイレを違和感なく利用できるのか」
と行く建設的批判に他ならない。
失敗した。→じゃあ、どうするのか?にフォーカスを当てなきゃ意味がない。
だから、私は本記事に建設的批判を記したつもりです!!!
なので、ジェンダーフリートイレに関しては、
・男女別トイレを廃止してジェンダーフリートイレを設置するのは弊害があるが、
・男女別トイレを廃止せずにジェンダーフリートイレを設置するのはOK
・それか男女別トイレに関してトランスジェンダーに選択肢を与えればいい
と私は思います。
トランスジェンダーにトイレ使用の選択権を与えるというのは、
文字通り、トランスジェンダーに、こころの性別に従った男女別トイレの使用権を合法化するのです。
たとえば「GID証明書の要綱にトイレの使用の選択権を明記し、
GID証明書を持っていればこころの性別に従ったトイレの使用を合法化する」とか。
男女別トイレのままで、トランスジェンダーが使用するトイレを選択すれば、
トランスジェンダーの方々の精神的苦痛も緩和されます。
そして、マジョリティの精神的苦痛も男女別トイレ廃止+ジェンダーフリートイレの場合よりも、
トランスジェンダーの数は圧倒的に少ないので、精神的苦痛を受けるマジョリティの数も比較的少ないでしょう。
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