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日本の女装・異性装文化の歴史の祖先「ヤマトタケル」の略歴背景。日本武尊はなぜ女装したのか?

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日本は古来から「男性の異性装=女装」が文化的に根付いてきました。
今でも日本各地の神社では「女装した男性」が行うお祭りで護国豊穣を願う催しが展開されているなど、
日本の歴史を語る上で、実は「女装」は欠かせない存在なのです。

そんな日本と女装の親和性をもたらした人物が、
今回ご紹介する「ヤマトタケル」なのです。
その日本の女装の祖ともいえる人物「ヤマトタケル」について書いてみました。

日本の女装の起源「日本武尊(やまとたけるのみこと)ヤマトタケル」の初女装

出典参考文献

日本の女装の起源とされているのが「古事記」に掲載されている「ヤマトタケル」に関する女装の記述です。

ヤマトタケルは、第12代景行天皇の第二皇子として生まれ、小碓尊(おうすのみこと)という名前でした。
いわゆる神童であり、幼いころから不思議な強いパワーを持っていたとされています。

青年期になると、父親である景行天皇に九州の熊襲(くまそ)討伐を命じられます。

その時に、クマソが宴を催している最中に、女装姿で忍び込み、
クマソに剣をつきたててクマソを討伐した
という記述が残っているのです。

これが日本の歴史書物に残っている最古の女装の記述なのです。

女装して熊襲(クマソ)を襲うヤマトタケル

見事に熊襲(クマソ)を討伐した少年時代のヤマトタケル・小碓尊(おうすのみこと)は、
この頃から「ヤマトタケル」と名乗るようになります。

その後帰京しましたが、父親である景行天皇にすぐに東国討伐(東京方面)を命じられます。
実は、ヤマトタケル、実の父にその力の強大さを恐れられ嫉妬されていたのです。
休む間もなく、東国へ行くことを命じられてしまいます。

 

東国討伐前に「伊勢神宮」に立ち寄り三種の神器の1つ「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」を授かる

東国討伐に京から向かう前、途中の伊勢神宮にヤマトタケルは立ち寄ることになります。
そこに叔母がいて、叔母はヤマトタケルの東国討伐の成功を案じ、小さな袋と剣を渡します。

その剣こそが、3種の神器の1つ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」でした。

3種の神器とは?

三種の神器(さんしゅのじんぎ、さんしゅのしんき、みくさのかむだから)は、日本神話において、天孫降臨の際に天照大神が瓊瓊杵尊に授けたとされる三種類の宝物、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣の総称。 また、これと同一とされる、あるいはこれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種類の宝物のこと。

wikipedia-3種の神器

叔母に別れを告げたヤマトタケルは、伊勢神宮を後にし、そのまま東国を目指します。

日本人の祖先・天照大神がまつられる「伊勢神宮」

しかし、道中の相模国(現在の神奈川県付近)で、敵の火攻めにあってしまいます。
しかしヤマトタケルは、叔母からもらった袋の中にあった火打石を使い、
火攻めに対して、火攻めで返します。
その火打石で迎え火をたき、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で周囲の草を切り火をたいたのです。
「草を薙ぎはらって火をたいた」ので、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を「草薙剣(クサナギケン)」と言うようになりました。
こうして、ヤマトタケルは火攻めの窮地を脱します。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)「草薙剣(クサナギケン)」
は同じものであるとする説が通説ですが、別物であるという考え方もあります。

火攻めに迎え撃つヤマトタケル」

その後、勢いに乗ったヤマトタケルは次々に東国を討伐していきます。
途中でいろんな神様も退治して統一してきます。
しかも妻ももらいます。

その活躍はまさに神がかっていました。

とはいえ、

お気づきでしょうが、ヤマトタケルさん、
吸収の熊襲退治以降、ドンドンと女装からは離れていくのです。

しかし!
その後、ヤマトタケルは、現代に残る女装のルーツを残して最期を迎えます。

 

熱田神宮にはヤマトタケルの剣が祀られている。熱田神宮は今や女装スポットにもなっている。どこか深いところでつながっている気がするんだ。

その後順調に東国討伐をしていたヤマトタケルは、尾張(愛知県)に戻り、
次は伊吹山の神様を討ち取るために岐阜県に向かいます。

伊吹山

しかしその伊吹山に向かう際・・・なんと、例の剣を置いて行ってしまうのです。

ヤマトタケル「伊吹山の神くらい、素手で討ち取ってやるわ」

ってなもんだったのでしょうか。

しかし、その戦いでヤマトタケルは敗北をしてしまいます。
その戦いが相当な痛手になり、ヤマトタケルはそのまま京に戻ることなく亡くなってしまいました。

そして、ヤマトタケルが東国討伐に使っていた草薙剣(クサナギケン)を祀るために設立されたのが、
おなじみ熱田神宮
なのです!!!

そう・・・熱田神宮といえば、その周辺に女装子さんが集まることで知られていますね。
何か、どこか深いところでつながっている気がするのです・・・

結局、京に帰ることができなかったヤマトタケルは肉体の死後、白鳥になって、帰ったそうです。
それが大阪にある「白鳥陵(しらとりりょう)」ですね!

女装をし、父親に嫉妬されながらも、そのパワーで数々の神々を討伐統一したヤマトタケル。

その魂は、今の日本の女装人1人1人の中に入っているような気がします。

 

・・・
しかし、ここで疑問に残るのが・・・

女装のくだりいる!?!?!?!?!?

ということです。

元々ヤマトタケルはすごいパワーを持った神童だったわけで。
熊襲以降、女装のくだりはほぼ出てきません。
なぜ、わざわざヤマトタケルは九州の熊襲を討つときに女装をしたのか!?!?

 

日本人の祖先「アマテラス」は女性と男性のミックス。女性とは太陽で、強大なパワーをもつとされてきた。

日本人の祖先として語り継がれる天照大神(アマテラスオオミカミ)。
実は元々は男神だったという説があります。

しかしさらに強大なパワーを持つために、その時の巫女である女性と合体して、
両性具有的な唯一無二の太陽神「アマテラスオオミカミ」になったとする説があります。
(※この手は本当に諸説あるので、断言はできませんが、私は女装ワールドの筆者なので、それっぽい説を支持しています。
詳しいことはそういうのを専門にしてる先生の書物をお読みください。しかし、「両性具有だ」とする説もありますので嘘ではないのであしからず)

明治以降の男女平等運動の「平塚らいちょう」氏なんかも「原始、女性は太陽であった」と引用していますよね!

原始、女性は太陽であった

なので、ヤマトタケルの幼少期の頃には、「女性に扮することで男性も太陽のような強大なパワーを得られる」
と信じられていた節があったそうです。
だから、おそらく初討伐の熊襲退治のときは、女装のパワーにあやかって女装したんじゃないのかな、と。

日本文化的にも、女装は強大なパワーを持つのですよ。

それほどに神秘的で不思議な行為なのです。

そこから千年以上ときがたち、今、私たち。

女装をすると、何か不思議なパワーを得られるような気がしませんか?

人生が大きく解放されるような。

でも一方で、その強大なパワーのあまり、人生そのものを破壊してしまうほどの
中毒性も帯びているわけです。女装沼はその典型例ですね・・・

その女装のパワーをうまくコントロールできれば、きっと人生は本当に幸福になるはずなのです。

だから、女装をして10年ちょっとの私ですが、少しでも多くの女装人に、これから女装を始める人々に、
「私が考える女装と人生はこうしていくといいよ!」というのを私の言葉で伝えてきたつもりだし、
これからも伝えていくつもりであります。もちろん、私の言葉が絶対に正しい!なんてありえないけどねw
それはまた、私が生きていく中で変わっていくものだろうし、社会の変化によっても変わっていくものだと思います。

 

とにかく!!!!

女装人の大先輩であるヤマトタケル。
本当にかっこいい生き様で、日本の女装文化の祖として、
今も私たちの心の中か、認知すらできないふか~~~~いどこかで
生き続けているような気がします♡

さぁ!女装と言う強大なパワーを、今日も全身で感じよう!!
最後までお読みいただきありがとうございました。






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