性同一性ってなぁに?
アイデンティティってなぁに?
女装界隈や、セクマイ界隈でよく見る「性同一性」についていろいろと書いてみました。
「私って何者なんだろう」と悩んでる人や、
悩んではないけど「性同一性」について知りたい人におすすめです。
あとは、趣味女装子さんで最近「自分の性」について悩んでる人も、ぜひご覧ください。
何かヒントがあるかもしれません!
そもそもアイデンティティ(identity)とは何か?
私の性同一性を語る前に、そもそも性同一性(アイデンティティー)とは何かを少しだけ語っておきます。
これはidem「同じ」という意味の語源が派生してiden+tity「自我同一性」となっていますが、
非常に抽象的で意味が広い単語なのです。
identify(~をこれだと完全に特定する:アイデンティファイ)という単語がありますがこれの名詞形ですね。
ぶっちゃけアイデンティティーは抽象的で広義なので、何をアイデンティティーにしようが何でもいいのですよ。
現在の私であれば、「ブロガー」というアイデンティティーでもいいし、
「女装男子」というアイデンティティーでもいいわけだし、なんでもいいわけです。
もしかしたら、「本気で自分は女性なんじゃないか」と思い込んで女性として働いてた時期もあるので「元MtF」かもしれないし、
ニューハーフバーで働いたこともあるので「元ニューハーフ」かもしれない。
ちなみに今は「私は私」というアイデンティティーでゆるぎなく落ち着いています。
アイデンティティーを性別に求めてもいいし、それ以外の職業に求めてもいいし、
何か感覚的なモノに求めてもいいし、何に求めてもいいんですよ。
アイデンティティーとはいろんなものから選択可能
セクマイにとっての最終目標というわけでもなんでもない。そこに優劣はない。
その中で、セクマイ界隈、女装界隈ではよくこのアイデンティティーを「自分の性のアイデンティティー」と結び付けて
考えられることが多いですよね。
私は女性なのか・・・?
私は男性なのか・・・?
私は両性なのか・・・?
私は何者でもないのか・・・?
アイデンティティーというのは、あくまで「自分は何者なのか」を定義づける1つの指標に過ぎず、
「性別などどうでもいい」という人にとってはどうでもいいことだし、
「やっぱり性別にもアイデンティティーを求めたい」という人にとっては大切なことなのです。
そのあたりはこの記事で詳しく書いてますね♡↓ 今日は「性に縛られたい人」「性に縛られたくない人」という記事を書いてみます。 女装トランス界隈にいるとよく目にするのが、 「私はやっぱり女性になりたいの!」という「性に縛られたい人」と、 「性別なんて ... 続きを見る
性に縛られたい人、性に縛られたくない人。ジェンダーフリーとジェンダーレスの違いを知っておこう。
ぶっちゃけ、アイデンティティーに悩むくらいだったら、
そんなアイデンティティーなどいったん隅のほうにおいておくか、
捨ててしまえばいいのですよ。
アイデンティティーは自ら設定するもので、
それによって「あ、自分ってそうだよな(コクリ納得)」ってなるポジティブなものだけ
選んで拾っていけばいいわけで。
だから、「自分のアイデンティティーがわからない」でもOK、それでOKなのですよ。
「選んでしっくりくるアイデンティティーが今のところないだけ」という話なので。
一生アイデンティティーのわからないまま死んでいく人もいます。それでもいいじゃないですか。
アイデンティティーがあるから偉いとか、ないからダメだとかそんなものないのですよ。
本人が幸福で死ぬ瞬間に「ありがとう、楽しかったわ」と思えればそれでいいのですよ。
で、人間というのは個人同士が集まって社会を形成していて、その社会の中にも
いろんなコミュニティが乱立しているじゃないですか。
そのコミュニティ内での人間関係の中で「あなたってこういう人だよね」という「他者評価」だってあるはずなんですよ。
人間は、いろんな仮面を出し入れして社会の中で生きている人がほとんどなので、
その社会の中での「他者から見たあなた」だって十分に社会で生きる上においては
アイデンティティーになりうるわけです。それをいっそのことアイデンティティーにしちゃってもいい。
繰り返しますが、アイデンティティーは「自分はこれだよな(コクリ納得)」できるものを
1つでも2つでも、何個でも自由に拾い上げて設定していけばいいもので、
別にそれがなくてもかまわない。その程度のものです。
別にアイデンティティーなんてよくわからなくても、毎日おいしいごはん食べれるはずじゃん?
毎日自分の好きなことをできるはずじゃん?二度寝したら気持ちいいじゃん?
そこが大事なんですよ、本来。
なのに、アイデンティティーがよくわからないから悩んで食べ物も喉を通らない…
というのは、まさに本末転倒なのです。
アイデンティティーなどはただのツールなので。
アイデンティティーの前に、人生、ですから。
この命を燃やす「自分という何か」があるでしょ?
それですよ、それ!その内面が「気持ちいい」と感じることこそ人生でいいじゃん!
そこに後付けでアイデンティティーがくる。
自分が納得できるものをアイデンティティーとする。
でもそんなことを言ったところで、
「性別」というのは生まれたときから刷り込まれているもので、マジョリティとは違った性同一性がある人にとって、
それを思い悩んでしまうのも当然のこと。それがおかしいとも思わない。
なので、
セクマイ界隈・女装界隈の「性同一性(Gender-Identity)」というアイデンティティーにフォーカスをあてて
話してみたいと思います。
性同一性とは何か?
その上で、「性同一性」について説明しておきます。
この「性同一性」という概念は、心理学者ジョンマネーによって1950年頃に提唱されました。
ジョン・マネー
まさに、「性のアイデンティティー」なのですよ。
さっきも言ったように「自分が納得できる」性に関するアイデンティティーなんですよね。
英語では「Gender Identity(ジェンダーアイデンティティ)」と表記されます。
現在使われている「ジェンダー」とは違う意味で用いられています。
なので、このジェンダーアイデンティティーという単語を見て
現在広く使われている「らしさ」「社会が設定した役割」というジェンダーを
そのままあてはめないように!
たとえば、生まれた瞬間の特徴で男女2分ジェンダーの中で「男性」という生物学的性別が国家によって与えられます。
その後は親によって「男の子」という「男」ジェンダー教育が行われ、
何の疑いもなく物心ついたときから、少年期→青年期を経ても「私は男性です」と言って疑わない人は
まさに性同一性が「男性」ってことでいいのです。
要は、「自分の性に関して、これだ!と誰に何を言われようが、外部要因として何か影響を与えられようが、疑いなく自分自身の性に関して、これだ!と納得し続けてる状態」のことを「性同一性」というわけですね!
「何を言ってるんだ?!」と一蹴されるでしょう。
このマジョリティの男性は「自分は男性だ」と何を言われようが納得しているのです。
性同一性があるのです。
「性同一性がない」とはどういうことか?
一方、「性同一性がない」とはどういうことか?
先ほどの性同一性の定義をそのまま借りると、
「自分の性に関して、これだ!と自分自身で納得し続けていない状態」のことなのです。
その多くは「男か女か」という男女2分ジェンダーとの「差」「認識の差」によって生まれてるわけです。
「男性として扱われているんだけど・・・”私は男性ではない” 男性と思い込んでも、納得できない・・・」
まさに、これが「性同一性がない状態」なわけですね。
そして、
「男性として扱われているんだけど・・・”私は男性ではない”けれど、女性と思うと納得できる・・・(っていう状態が疑いなくずっと続いてる)」
これは「性同一性がある状態」です。
自分で「女性だ」と思えば、そこに関しては納得ができるわけだから。
それがずっと続いてるわけだからさ。
え・・・?でも周囲からすれば「本人が女性と思い込んでいても男性だと思ってしまう場合もあるのでは・・・?
それは性同一性があると言えるの?」という人もいるかもしれませんが、
「性同一性」の概念の中に「他人がどう思うか」という概念は含みません。
何度も言っていますが、アイデンティティーというのは「自分が納得するもの」なんですから。
自分が納得している状態、いわゆる「しっくりくる」性に関するアイデンティティー=性同一性
というのは、他人がどう思うとか、そんなものはどうでもいいのですよ。
でも世の中って「生物学的性別が男性の人が、こころの性別を女性にして納得して生きること」=「性同一性障害」
と設定してしまっていますよね。おかしいわけですよ。
だって、「本人が納得していれば、同一性はある」んだから!
そうでしょ?
なのに、「障害」っておかしいですよね。
だから、最近は「性別違和」などと呼称を変えることも多いですがいまだに「性同一性障害」という呼称は使われ続けています。
あるいは、こんな人も性同一性がない状態と言えますね。
「男性として扱われているんだけど・・・”私は男性ではない”けれど、女性と思い込むと納得できるんだけど、
でも、カラダは男性。他人に男性扱いされるとそれが揺らいでしまう。」
この場合は「性同一性がない」状態です。
性同一性で重要なのが、「外部情報によっても揺らぎなく自分はこの性だ」ということです。
疑いなく、その性だと納得し続ける状態が続くこと。
これが性同一性なのです。
チェイサーさんはおそらく「自分は男性である」と疑うこともなく納得しているし、
趣味女装子さんはおそらく「自分は男性である(けど女装をする)」と疑うこともなく納得している人が多いのではないでしょうか。
この「自分の性は~である」という性同一性は、どのようにして形成されるのでしょうか?
性同一性はいつ形成されるのか?後天説と先天説がある。「生まれたときから性別があるのか、生まれてから環境で性別が決まるのか」
実はこの性同一性の形成には、「生まれる前から決まってる」とする「先天説」と、
「生まれから決定される」とする「後天説」があり、議論が分かれているのです。
性同一性の先天説とは?
先天説というのは。生まれる前から、すでに脳内に「性同一性」を形成する仕組みがあり、
その脳の働きに従って、「男性」「女性」と形作られて人は生まれてくるとする説です。
実は、性同一性においては、この先天説のほうが有力に支持されています。
有名な「ジョンジョアン事例」というものがあります。
男児として生まれた赤ん坊がいました。しかし、直後の事故によって男性器を切断せざるをえなくなりました。
困り果てた両親はまだ赤ん坊であり物心がついていない時期からその男児を女児として育てることを決定。
女性ホルモンを投与して女児「ブレンダ」として育てました。
しかし、成長するにしたがってその「女児として育てられた男児・ブレンダ」は徐々に自分の性に違和感を覚えはじめます。
「自分は女性ではない」と思うようになったのです。
その後、ブレンダは「デイビッド」と名前を変えて男性として生活をしているそうです。
この事例によって、「性同一性というのは、生まれる前から決まっているのだ」と結論づけられたのです。
もし生まれる前に決まっていないのであれば、後天的に女児として育てられたブレンダのまま
男児は女性として生き続けたでしょう。でも、途中から性同一性がなくなり、
「女性であるよりも男性であるほうが納得できる」状態になったわけです。
「性同一性は、明かに生まれた瞬間にすでに決定されている」ということをこの事例は示しているのです。
性同一性の後天説とは?
後天説は「人間は生まれたときはニュートラルで、そこから性別があてはめられ、そのように育てられ、周囲とのかかわりの中で、
男女のいずれかに分化していく」とする説です。
これはMtF/FtMが実際にこころの性別・性自認に基づいた性で生活するために、性ホルモンを投与することで、
実際に脳の容積が変化していることを論拠としています。
しかし、後天説は、さきほどの先天説の「ジョンジョアン事例」で反証されることになるわけです。
ブレンダは男児で生まれたものの、女性ホルモンを投与され、周囲に女児として女性として育てられても、
「男性である性同一性を望んだ」ので、後天説の信ぴょう性は疑われています。
性同一性の複合説とは?
この複合説は、
・先天説もそうだし、
・後天説もそうだよね!
という両方の説をミックスさせた説です。
確かに生まれる前に脳内で何らかの性同一性を形作るんだけど、
生まれてからの環境によって「変わる場合もある」ということです。
つまり、先天説の「生まれる前に決まってる」という説を踏襲しながらも、
先天説が否定する「生まれた後は変わらない」部分に関しては、「変わる可能性もあるっしょ」
と後天説を支持しているというのが、この複合説です。
どの説が正しいかは未だに解明されていない
説がこんなにあるのか・・・
では一体どの説が正しいの!?!?
と思うのですが・・・
どの説が正しいかは未だに解明されていない( ;∀;)
これが現在の性同一性に関する状況なんです。
その中でも「先天説」が一番多く支持されているのです。
性同一性は、生まれる前にあらかじめ決まっている、と。
後天説が弱まった理由
結局、後天説が弱まったのは、
実は先天説を実証することになったジョンジョアン事例は、
「本当は後天説を証明するために行われた実験」だったのです。
もう一度、ジョンジョアン事例を振り返ると、
男児として生まれた赤ん坊がいました。しかし、直後の事故によって男性器を切断せざるをえなくなりました。
困り果てた両親はまだ赤ん坊であり物心がついていない時期からその男児を女児として育てることを決定。
女性ホルモンを投与して女児「ブレンダ」として育てました。
しかし、成長するにしたがってその「女児として育てられた男児・ブレンダ」は徐々に自分の性に違和感を覚えはじめます。
「自分は女性ではない」と思うようになったのです。
その後、ブレンダは「デイビッド」と名前を変えて男性として生活をしているそうです。
でも、この実験、実は最初このように発表されていたのですよ。
男児として生まれた赤ん坊がいました。しかし、直後の事故によって男性器を切断せざるをえなくなりました。
困り果てた両親はまだ赤ん坊であり物心がついていない時期からその男児を女児として育てることを決定。
女性ホルモンを投与して女児「ブレンダ」として育てました。
なんとブレンダは女性としてそのまま暮らしました。(後天説が正しいじゃん!)
しかし、成長するにしたがってその「女児として育てられた男児・ブレンダ」は徐々に自分の性に違和感を覚えはじめます。
「自分は女性ではない」と思うようになったのです。
その後、ブレンダは「デイビッド」と名前を変えて男性として生活をしているそうです。
しかし、その後、ブレンダはやっぱり「男性として生きたかった」ことが公開され、
「この実験の考察は嘘だった!後天説おかしいぞ!!!」となったのです。
よくよく考えたら…
・実はこの実験、結構設定がザル
・生まれた直後に男性器を切断しなければいけない事故ってなに?
・実はその事件の具体的なことは明らかにされていない
・この事例の報告は、実はジョン・マネーという学者の報告のみになっていて信ぴょう性が怪しい
ジョン・マネーは「後天説支持」の学者でしたからね!
性同一性障害は思い込みなのか?後天的GIDは思い込みなのか?
そうなると、先天説を支持するとすれば、
”GID/MtFというのは、ある一定の判断や理性的判断が徐々についてくる
いわゆる「ものごころ」がつく3歳~4歳くらいの時期には「自分は女性なのに、男性のような扱いをされていてしんどい」
等の「性別違和」を感じている人に限定されてくる”ことになります。
大人になるまでは「男性だ」と思っていて、社会生活を送っているうちに「自分は女性なのかもしれないと思い始めた・・・」
というのは先天説と支持すれば、嘘になるという可能性があるわけです。
実際にこんな事例があります。
https://www.asahi.com/articles/ASKBY5GNNKBYUTIL013.html
自分は性同一性障害だと考えて戸籍上の性別を変えたが、やはり適合できず元に戻したくなった――。性別変更をする人が増えるにつれ、こんな悩みを抱える人が出てきた。再変更は現在の法律では想定されておらず、ハードルは高い。専門家からは「何らかの救済策が必要」との声も出ている。
神奈川県茅ケ崎市の40代元男性は2006年、戸籍上の性別を女性に変えた。それをいま、強く後悔している。家裁に再変更の申し立てを繰り返すが、「訴えを認める理由がない」と退けられ続けている。
幼い頃から吃音(きつおん)に悩んでいた。疎外感を抱いていた00年ごろ、性同一性障害の人たちと交流する機会があった。「自分たちの存在を認めないのはおかしい」と訴える姿がとてもポジティブに映った。「自分も同じ(性同一性障害)だ」と考えるようになり、03年にタイで男性器切除の手術を受けた。
04年に一定の条件を満たせば性別変更が認められる特例法が施行されたため、心療内科を受診。十数回の診察を経て、複数の医師から性同一性障害の診断を受けた。横浜家裁に性別変更を申し立て、06年7月に変更が認められた。
だが、すぐに後悔に襲われた。男性だった時には簡単に見つかった仕事が、女性になってからは断られ続け、性別を変えたためだと感じるようになった。弁護士に再度の性別変更を相談したが、「今の制度では難しい」と言われたという。
この方はおそらく後天的GIDに分類されるでしょう。
https://www.sankei.com/west/news/180302/wst1803020062-n1.html
申立人は自らを性同一性障害だと思い込み、平成23年にタイで性別適合手術を受けた。同年、国内の精神科で性同一性障害と診断され、特例法に基づく家裁の審判で性別変更が認められた。しかし変更後の生活に心身ともに支障が生じ、思い込みだと気付いて後悔。昨年6月に取り消しを求めて家裁に申し立てをした。家裁は当初診断した医師の「客観的指標がない中、本人が誤って信じた内容で診断せざるを得ない」との意見書をもとに誤診を認め、申立人が元の性別で日常生活を送っている点なども踏まえて変更を取り消した。
あくまでこれは数多くある事例の1つに過ぎませんが「GIDは先天的である」ことを示すものになりました。
しかし、実際に幼少期から「私は女性である」という性同一性を持ち続けている人は存在しているわけです。
その中で家庭環境により多くの人は「男性としての生活」を強いられ、そこに激しいストレスや苦悩を抱えて生きてきているわけです。
先天的に「女性である」という性同一性をもって生まれてくる戸籍上男性は存在しているので、
性同一性障害は、存在すると言えます。
こころが女性の男性なんて「ただの思い込みだ」
という暴論をたまに見受けますけど、「たしかに思い込みの人もいる」というだけの話であって、
先天的GIDまでを含んで存在を否定するのは誤った見解であるということです。
性同一性をどう決定するのか?男性か、女性か、それ以外かを、正直に自分自身で感じるものだ。
そうなると、
性同一性は、決定するものではない。
ということになります。
先天説によれば、
予めもう、性同一性は決まっている。
のですから。
自分の決まっている性同一性を、自分自身で感じるものだ。
決定するのではなく「性同一性を感じる」という表現がしっくりくる気がします。
しかし、人間というのは、生まれた瞬間に、人為的に作られた様々な「制限」を
あてはめられるわけです。
根本的な部分で言うと、
・自由である存在に「生まれた国の法律を守ること」を強制される。
という制限がまず入ってくるわけですよね。
そして、「性」という部分でいうと、
・生まれた瞬間に「男女2分前提の性別」で分けられる。
・多くの場合、その性別の従って育てられる。
という制限が発生するわけです。
たとえ性同一性が「女性」という人であっても、「男性」と認定されれば、
「男性としての人生を生きること」を強要されるわけです。そこにGIDの人は苦しむわけですよ。
明かにカラダの中の魂みたいな見えない「私たちに宿る何か」は「女性だ」と
言っているのですよ。自分の「内部」は「女性だ」と言っているわけです。
でも、どうでしょう?親、周囲の目、環境、社会…こういった「外部」は、
すべて「男性である」というレッテルを押し付けてくるわけです。
そうすると、GIDの方は「私は異常なのではないか?」と思ったりするわけです。
でもその「異常さ」というのは、このような外部の制限がなければ発生しないものなのです。
本来であれば「性同一性が”女性”なのであれば、女性として生きる」ことが
何の障壁もなく実現されているはずなのですが、
人間というのはさまざまな制限を作って社会というものを作って生きているので、
障壁なしにはそれが実現できない現実があるのです。
だから、本来は自然に感じるはずの「性同一性」が「決定するもの」という人為的な
意味を付加する述語で使われることがあるのです。
しかし、本来は先天説に基づけば性同一性は「感じるもの」なのです。
私たち全員の内部にあるものだから。
だから、性同一性に関しては、一度外部の情報とは切り離して、
独立した自分の内部の中で感じる、あるいは「思い出すもの」であるというのが
正しいとらえ方だと思います。
そのうえで、
「男性なのか?女性なのか?」という2択でもないのですよ。
これすら外部の制限なのですから。
国家が勝手に「男女2分前提ルール」を生まれた瞬間にあてはめているだけなのですから。
なので、性同一性に関しては、
・男性
・女性
・それ以外
とできる可能性があるわけです。
男性・女性以外の性とは?
男性女性以外の性はいわゆる「Xジェンダー」と呼ばれていて、
・中性:男性と女性との中間
・両性:男性でもあり、女性でもある
・無性:男性でも女性でもない、性がないと思っている
・不定性:揺れ動いている。常に。
このような性があります。
これらの性も「男女以外の性の存在がある」として認められてきていることから
推察すると、「これらのXジェンダーを形作る先天的な「性同一性」もあらかじめ脳内に存在している」
ということになります。
必ずしも、「男か女か」で性同一性を思い出す必要はないということです。
趣味女界隈における「性同一性障害」との混同。「思い込みGID」が存在してしまう「GID診断」の制度的欠陥
趣味女装子さんにとって、性同一性は「男性」である人が多いのです。
とくに、オートガイネフィリアの趣味女装子さんなんかは、
性対象女性、性自認男性の完全なシス男性の性同一性を持っている人が多いのですよ。
要は「女装をするシス男性」と言ってもいいわけです。
「女性が好きで、女装をする」という「女性フェティシズム」に近いわけですよ。
シス:生まれた時に診断された身体的性別と自分の性同一性が一致している人のこと。
そのような人が、女装をはじめると、「女装癖を社会的何かに合理化したい」と思う人が
少数ですが出てくるのです。そこで使われるのが「GID」なのです。
何度も言いますが、先天説を前提とすれば、青年期以降になって「突如、私、GIDです」となる人はいないわけですよ。
(心の中でずーーーっと、性同一性を女性として持ちながら、男性としての社会生活を我慢して生きてきた人は別です。
その人は性同一性が女性として保持しているものの、日常生活を男性で生きてきたというだけなので。)
しかも、何が問題かと言うと・・・
GID診断は、はっきり言ってかなりザルなところも多いわけです・・・( ;∀;)
(ちゃんとやってるところもありますけど)
GIDかどうかなんて、はっきり言って本人にしかわからないのですよ。
だって、客観的な基準ってないんだもの。
本人の自己申告にゆだねられてる部分が多いのですよ。
だから、はっきり言って「女装癖のあるシス男性」あるいは、それに近しい人であっても、
性同一性障害だと診断されてしまう」可能性は十分にあるわけです。
さっきの事例なんてまさにそうですよね。
男性「社会生活しんどい」→男性「ストレスでやばいわ」→男性「性同一性障害かもしれんな・・・」
→病院「はい!性同一性障害」→男性「やっぱりか、よし性別適合手術や!」
→戸籍変更完了→元男性「・・・やっぱきついわ・・・GIDじゃなかったわ」
→元男性「やっぱ戸籍も女性→男性に戻すわ」→裁判所「いいよ」
っていうことじゃないですか。
https://www.sankei.com/west/news/180302/wst1803020062-n1.html
申立人は自らを性同一性障害だと思い込み、平成23年にタイで性別適合手術を受けた。同年、国内の精神科で性同一性障害と診断され、特例法に基づく家裁の審判で性別変更が認められた。しかし変更後の生活に心身ともに支障が生じ、思い込みだと気付いて後悔。昨年6月に取り消しを求めて家裁に申し立てをした。家裁は当初診断した医師の「客観的指標がない中、本人が誤って信じた内容で診断せざるを得ない」との意見書をもとに誤診を認め、申立人が元の性別で日常生活を送っている点なども踏まえて変更を取り消した。
何度も言いますけど、「小さい頃から性同一性と、周囲の自分に対する扱い方が違うことに対するストレス」を抱えて生きてきてる場合が多い「本当のGID」と、
女装癖をやってみたらそれを合理化して「GIDかも」という「思い込みGID」は全く違うわけです。
混同してはいけません。
先天説に基づけば、「私は女性かも…」と青年期以降にいきなりなることはないわけですよ。
おそらくそれは「思い込みGID」である可能性が高いということです。
(先天説が100%ではないのであくまで”可能性が高い”ということです)
大丈夫、ほとんどの人は男性である
はっきり言って、趣味女界隈のほとんどの女装子さんは「男性」なのですよ。
「男性なんだけど、女性になってる」のです。
一時の気の迷いで「私、女性かも…」となってしまう人もいますけど、
もちろん完全に一般化はできないですけど、ほとんどの場合間違っています。
「女装沼」にハマりますか?きついよー( ;∀;)
でもね、もうこの際そんなのどうでもいいと思っていて…
アイデンティティーで人生は決まらない。自分の歩む人生の中にアイデンティティーがついてくるのだ。
ぶっちゃけ、アイデンティティーなんかで人生は決まらないのですよ。
でも、決まってくるじゃん!
女性なのか男性なのかで、ある程度決まってくるじゃん!
という人もいるでしょう。
たしかにそうです。
とくに本物のGIDの人にとって、「女性なのに男性の器に強制的に押し込められている」感覚は、
想像を絶するほどつらいものがあると思います。
ちゃんとシス女性に生まれてればこんな苦労はなかったかも・・・
と思うかもしれません。
でも・・・
そんなことを言っても仕方がないのですよ。
女装ワールドで何度も言ってますけど、
人生は不平等で不条理。
人生は与えられたカードで勝負するしかない。
それは非常に不平等。
最初から有利なカードを与えられる人もいれば、
絶望的に不利なカードを与えられる人もいる。
でも、誰もがカードを持っているのだ。
世の中の不平等さ、不条理さを嘆いても何も始まらない。
そんなことよりも、持っているカードで何ができるか考えよ。
そうやって生きていれば、いずれ自分の手元に有利なカードが入ってくる。
でもそれは、生きていなきゃはじまらない。
「何かあるはずだ」という運を信じて、
ポジティブに生きている人に、そのカードはやってくるのだから。
なのです。
持っているカードで勝負するしかありません。
でも、数ある命の中で、自分という存在で生まれてこれた奇跡。
これはもう、何兆分の1という奇跡の運ゲーの集大成なのですよ。
そんな命の奇跡に比べたら、「生まれた家」「貧富の差」「カラダの差」「見た目の差」・・・
こんなものは、本当にちっぽけなものなのですよ。
アイデンティティーで人生など決まりません。
人というのは、自分が必死に生きた足跡の中で、
アイデンティティーが勝手についてくるものなのですよ。
冒頭でも述べましたけど、アイデンティティーなんて、one of them(何か多くあるうちの1つ)に過ぎません。
性に関するアイデンティティーが定まっていないのであれば、
そのアイデンティティーはいったん使わなければいいのですよ。それだけの話です。
私も、就活の時期とか、女装沼の時期とか、フルタイム女性の時期とか
いろいろと経験してきましたけど、
別にアイデンティティーなんてなくても自分の人生なのだから、
自分の人生の生き様で、誰かが勝手にアイデンティティーを決めてくれるわけですよ。
アイデンティティーがなくても、毎日楽しく生活できるわけですよ。
アイデンティティーにとらわれすぎなのですよ。
すでに、自らは「女性だ」という確固たる性同一性がある人は、
「女性として」自分に正直に生きていけばいい。
それがない人は、よくわからない性のアイデンティティーなどいったん隅に置くか、
捨ててしまえばいい。
そんなことよりも、毎日を頑張って生きればいい。
その生き様がいずれ何か性とは違う別のアイデンティティーになるはずなのですよ。
いいですか、アイデンティティーは人生を超えません。
人生の中のちっぽけな1つの要素にアイデンティティーがあるだけです。
私は、小学生からずっと自分の性について悩んだりもしてきました。
男性としても、女性としても、トランスジェンダーとしても、社会生活をしてきました。
結論、私の性同一性はよくわからんwwwwwwwwwwwwwwww
と、気づいたのですよ。
よくわからないものにアイデンティティーを求める必要などないわけで、
私は私なので。
毎日、自分の信念に従って、一度きりのたった4000週間くらいしかない人生を
死ぬまで生きるだけです。
人生を制限してくるような、くだらない社会の思い込みとか常識に邪魔をされている暇はありません。
結局「性同一性」なんてものも、本来は自由である人間に、国家が勝手に「男女2分」という
制度を勝手にぶっかけてきてるから、迷う人が出てくるわけです。
そんなものに惑わされるな!
いいですか?
たった4000週間ほどの人生を、
毎日毎日、自分の信念に従って生きる。
死ぬまで。
死んだら、次の世界へお引越し。
死んだら、また死んだときに考えようぜ。
ということです!
最後までお読みいただきありがとうございました。