ついに、大学に合格し、自由へのチケットを手にした私。
いよいよ!いよいよ始まる!女装ライフ!!!!
と思いましたが、いろいろと待ち受ける出来事w
今回から大学編に突入です♡
私の女装遍歴(9)0年目大学編。いよいよ大学入学!一人暮らしをして女装環境を整えることができるのか!?
紆余曲折があり、ついに大学に合格した私…
4年間の人生のモラトリアム…
そして、高校3年生の受験勉強時代~浪人生活と2年間封印し続けた女装欲求。
ついに、私の女装ライフが・・・・!!!!
自由だああああああああああああああああああああああああ!!!!!
と思いきや、女装するまで少し時間を要したのです!
前回までのお話
- 私の女装遍歴(2)0年目中学時代編。私が男子校に入り体験した自分の中の「女」
- 私の女装遍歴(7)0年目大学受験中編。純女(女性)と6年ぶりに同じ空間で生活…極度の緊張…
- 私の女装遍歴(12)初女装外出で味わったこの世のものとは思えない高揚感に心臓がはちきれそうになった日
- 女装男子を彼氏に持つ女性の気持ちは?私の元彼女(純女)が何を言ってたか書き残しておく
- 私の女装遍歴(9)0年目大学編。いよいよ大学入学!一人暮らしをして女装環境を整えることができるのか!?
- 私の性対象が「女性のみ」から「男性も」に変化した日。心の中で何が変わったのか?何が起こったのか?
- 私の女装遍歴(3)0年目高校時代前半編。没頭する趣味に出会い女装願望が消えるも・・・。 #女装
- 私の女装遍歴(18)チアキという女になった私が社会性を体験した日
- 私の女装遍歴(4)0年目高校時代中盤編。女性と恋?でもちょっと違った女性に対する反応
- 私の女装遍歴(10)0年目大学編-女装の世界を知った日、私は異世界への入り口を見つけた。
では、今回から私の女装遍歴は大学編に突入です!
夢の一人暮らしがまさかの・・・!?
受験に合格してから、大学入学まで実は2週間くらいしかありませんでした。
前回も書いた通り、私は京都大学しか受けなかったものの不合格になり、
一番最後の「国立不合格者向けの最終日程試験」を受けたので、
受験合格決定日がなんと3月下旬。そして、大学入学日は4月上旬www
合格決定から入学まで2週間もありませんでしたw
その間、私はもぉ、遊びまくりましたよ・・・
先に大学に入学していた高校時代の友人(私は浪人しているので、
高校在学時に合格している同級生たちは先に大学生になっている)と遊んだり、
大学受験のために閉鎖したサイトの常連さんたちと「合格お祝いパーティ」やったり・・・
もう受験という重圧から解放された私は狂ったように遊んでいました。
とはいえ、入学までは2週間もありません。
私は心の中で「まだ大学に通う際の家決めてないな。。。」と思っていたため、
大学入学ギリギリになって母親に「そういえば、家ってどうすりゃいいの!?」と聞きました。
「夢の一人暮らし♡やりたい放題できる♡」
そんな気持ちでした。
しかし・・・次の母親から出てきた言葉に私は戦慄を覚えました。
母「いや、通えるやん、一人暮らしせんでええやん」
ええええええええええええええええええええええーーーーーーーー!
まぁたしかに通えるんですよ、ぶっちゃけ。
実家から大学までDtoDで1時間半くらいだったので…
いやいやいや!!!
しかし!!!!!実家暮らしなんて絶対いやだ!!!!!!!!!
自由に女装ができない!!!!!!!!!!!!!!!!
絶対にダメだ!!!!!!!
私はそう思いました。
でも・・・この時はまだカミングアウトをしていないときなので、
まさか「女装でけへんやん!」とも言えないし…
どうすりゃいいんだ!?
そこで私は、神妙な顔をして、
私「いや、もう私は社会人になった時を想定してるねん。
大学の間に慣れておきたいねん」
と合理的理由をでっちあげて母に言いました。
しかし、母親というのは恐ろしいものです。
誰よりも、もしかしたら自分以上に自分のことを知っています。
だって、自分のおなかを痛めて生んだ子なんですからね…
私が合理的理由を瞬時にでっちあげ、神妙な顔をして言っているのも
お見通しだったのでしょう。
若干笑いをこらえながら、
母「わかった、父に相談してみるわ、あんたは一人暮らしがしたいんやね!」
私「お願いします!!!!!!!!!!」
”「おねがいします」の模範的な言い方、「おねがいします」の例といったらこれだ”
みたいな感じで直立不動で声を張り上げました。
そして、その夜父が帰ってきたとき、
私「おかえりなさい!(ニコニコ)」
もうこれも”「おかえりなさい」の模範的な言い方、「おかえりなさい」の例といったらこれだ”
みたいな感じで声を張り上げました。
父は私のこんな「おかえりなさい」は明らかに不自然だったので、
父「いや、どないしてん」
と言ってきましたが、
私「いやいやいや、お帰りなさい!って普通やん!!!!」
というと、父親は煮え切らない表情で半分にやつきながら
部屋に消えていきます。
母親が、いつも通り父親のスーツなどをワードローブにかけるために
追いかけます。
母は私に「一人暮らしの件言うからね!」みたいな感じでこっちに
アイコンタクトをしてきます。
私は、こくりとうなづきます。
若干心の中で「なんやこれ、このくっさい芝居は」と思いながらも、
一人暮らし、絶対にしたいんや!!!!!!!!
と念じていました。
父いや、お父様、どうか・・・私に一人暮らしの許可を・・・・
・・・ドキドキ
父が服を着替えて部屋から出てきます。
父「母から聞いたけど、一人暮らししたいんか、お前」
私「はい!!!!!!」
母「いや、通えるし、私は別に一人暮らしじゃなくてもいいと思うんやけどね」
え!?!??!?!
ちょまwwwww母wwwww
あなた、私の味方になって「一人暮らし応援」してくれるんじゃなかったの!?
さっきのアイコンタクトのくだりなんやってん!!!!
と心の中で叫びました。
父「そうやでー、通えるやん、なんで一人暮らししたいねん?」
私は昼間のくだりをもう一度行います。
神妙な顔をして、
私「いや、もう私は社会人になった時を想定してるねん。
大学の間に慣れておきたいねん」
母親はちょっとにやついています。
ぜったい母はあの時心の中で「それ、昼間のくだりやんw」
と思っていたのでしょう。
父「んーーー、まぁいいんじゃない?男の子やしなぁ、
まぁ早めに一人暮らししてみるのもええんちゃうか」
キタァァァァァァァァッァァァァァァァァ!
私「ありがとう!!!!!!!!!!!!」
うちの実家は父親の意見が絶対の家庭だったので、
父親がOKといえばすべてOKになりました。
一人暮らし、確定!!!!!!!
さっそく私は京都の不動産屋のホームページでいろいろと家を見つけます。
そのホームページを閲覧中、母親が話しかけてきました。
母「仕送りは家賃含めて10万円ね、あとは自分でやりくりしなさい」
当時の私は生活費とか、家賃とか相場が全くわからなかったですが、
家賃含む10万円では生活はできないことはなんとなくわかりました。
私「少なくない!?!?30万円頂戴や」
かなり浮世離れした発言です。。。
月30万円も仕送りでもらえるわけがありません。
母「あの後いろいろと父と相談したんやけど、
あんたは一回もまれなさい。一人暮らしして。
お金がなかったらバイトしなさい。それが無理なら一人暮らしやめるか?」
ええええええええええええええええええ
バイトとか絶対やりたくないよぉ><
と思いながらも、
絶対に一人暮らしをしたかったので・・・
私「わかった、がんばる」
と渋々条件を飲みました。
今考えれば月10万円も仕送りしてくれるってすごい恵まれているし、
ただでさえ入学金の高い私立大学に入学するわけですから・・・
しかも浪人までさせてもらって・・・
そうなんです・・・
私は、中学時代から私立中学高校に入り、
友達もそれほど多くなくて、
高校時代もパソコンばかり…
そして、中学高校時代は「親から認められたもの意外の買い食い」を禁止されていたので、
高校生あるあるの「ファミレスでだべる」とかそういうのもやったことがなかったし、
「社会がどう動いてる」とかそんな感覚すら全くありませんでした。
結構世間離れしていたというか・・・要は世間知らずだったわけですよw
今思えば、あのタイミングで一人暮らししておいたことで、
人生初の経験を大学時代にいろいろとしました。
マジでよかったなぁと思います。このあたりは後々のエピソードで書いていきます!
私は一人暮らしの権利をゲットしました!!!!!
家を決める!今でも覚えている京都・北大路通沿いの和食さと
いざ、家を決めます。
なぜかこの日のことを今でもよく覚えてるんですよね・・・
もう今から11年前の話ですけど。
母親と一緒に車で京都の不動産屋さんまで物件内覧をしに行きます。
京都へは予備校時代に何度も通っていましたが、
行くのは予備校と予備校周辺だけだったので、
京都の地に足を踏み入れるのはこれが初めてでした。
(昔家族で京都には何度かきているそうなのですが覚えていませんでした)
車の中から見る京都の景色。
ここが、私が4年間住む町かぁ。。。。
楽しみだなぁ♡♡
京都の空気は、初めての土地なのにすごく気持ちがよくて、
肌にあうというか・・・一気に気に入ってしまいました。
やはり、日本人のふるさとだからでしょうか。
まだその時は、「女装コミュニティ」の存在すら知らないときなので、
「この公園は集まってるのかな」とか「ここはアデジョ(かつて京都に存在した女装ルーム)に近いな」
とか思うはずもありません。
そもそも「女装子さん」という存在すら知らなかったときです。
車で大学の近くの不動産屋さんに行き、安い物件を紹介してもらうことにしました。仕送りは月額10万円と決められていたので、「家賃はできるだけ抑えよう」と思ったからです。
結局相場5万円くらいの候補物件を3件ほど回りました。
物件の内覧ですね!!!
不動産屋さんの車で京都の町をまわります。
私はますます京都が好きになっていきます!
ここが北野天満宮か~~~
ここが上七軒か~~~~
ここが京都御所か~~~
初めて見るザ・京都ともいえる景色に内心めちゃくちゃ興奮していました。
しかも、今からこの場所にモラトリアムの自由の中4年間も暮らすのです!!!
私の胸の鼓動は、大文字焼きをするはるか向こうの山のほうまで響いて反響するほど
高鳴っていました。
結局、家賃4万5000円の6畳ユニットバスのマンションに住むことにしました。
いよいよ、始まる、私の女装ライフ!!!!
で、その日の帰りに不動産屋さんの前にあった北大路通沿いの「和食さと」に
母親と2人で遅めの昼食をとりにいきました。
何を話したかは覚えていないほど、おそらくたわいもない話をしていたと思いますが、
なんかすごく覚えてるんですよね、この日のこと。
これから始まるドキドキワクワクの大学生活への高鳴り
おそらくこの感覚が私の脳裏に焼き付いているのでしょうか。
長い長い受験生活から解放され・・・
我慢していたことをいろいろできそうな未来。
描いていた夢の大学生活。
これから始まる未来の道は私を手招いていました。
脳裏に焼き付くほどの記憶ってきっと脳で記憶してるんじゃなくて、
心で記憶してるんだと思います。
だから、今でも思い出せます。
あの日の和食さとのこと。
あの日の感覚。
人生って、毎日毎日が当たり前のように去っていきますけど、
やっぱり心で記憶したものって忘れないじゃないですか。
初恋のこと。
初めて大失敗した日のこと。
とんでもないひとめぼれをしてしまった日のこと。
何気ない家族のやさしさに気づいた日のこと。
ひとそれぞれいろんな日が人生のどこかにあると思いますが、
心で記憶してることって、その日の感情がよみがえってきませんか?
まるでタイムマシーンのように。
毎日毎日がいろんな義務やいろんなことで人それぞれ頑張って生きてます。
そうするとどこかで惰性で生きてしまったりしてしまうことがあります。
でも、やっぱりできれば心から震えて、心に記憶できるような出来事を
人生の中で1つでも多く残して、旅立ちたいなぁと思いませんか?
これを書きながら、毎日の当たり前に感謝し、
少しでも多く心で記憶できるいろんなことに挑戦したい!!!
と再確認しました!!!
みなさんも、心で記憶できること、少しでも増やせるといいですね♡♡
私もがんばろ♡
ちょっと話はそれましたが、
いよいよ、家も決まり…
大学入学の日を迎えます!!!
大学の入学式。コミュ障発動。「・・・・おれ大学でやっていけるのか・・・?」押し寄せる不安に襲われる
いよいよ、家も決まりました。
受験合格から入学まで日取りがかなり短かったので、
入居日は4月中旬になってしまいました。
それまでは実家から通うことになりました。
そしていよいよ、入学式の日になりました。
その日、私は人生ではじめてスーツを着用しました。
母も祖母も「うわぁ、すっごいいいじゃん!!!イケメン!」
と言ってくれました。
まぁ親ばかってやつですねwwww
そして、入学式に出発前、家族で1枚写真をとりました。
父親は会社に行っていなかったので、
祖母、祖父、母、妹、私の5人でパシャリ。
入学式は大阪ドームであったので、電車を乗り継いで大阪ドームへ。
もちろん、大学に友達などいないですし、
浪人時代のゆうちゃんも実は同じ大学に入学したとの情報を得ていましたが、
連絡もしませんでした。
私は「やべえな、友達の作り方とかわかんないんだけど」と思いながら、
入学式会場の大阪ドームにつきました。
会場では・・・振り袖姿の女子大生や、スーツ姿のほかの男子学生たち
総勢3000人くらいが集まっています…
しかも、なんかみんなイケイケな感じ、
ギャルや髪の毛が激しめの男子も多くて・・・
うわぁ。。。。私ここでやってけるのか・・・・??
と不安に駆られました。
人間の思い込みって怖いですね。
一番最初に見たそのハデな集団は「産業社会学部」という、
大学の中でも「派手な人々が集まる」学部だっただけでした。
後で聞くと、私は「文学部哲学科」だったため、清楚な方や地味な方も結構いたらしいのですよ・・・
でもその日の私の目には入ってこなかったのです。
あぁ。。。私この大学でやってける自信がない。。。
完全に私の心の扉がシャットアウトしていました。
幸い、予備校生活を経ていたので、
女性恐怖症も改善され、身なりも「高校2年までのパソコンオタク丸出し」のカンジではありませんでしたが、
自分に全く自信がなかったのも重なって・・・
もう完全に「ネガティブモード全開」になっていました。
人は思い込むとそれ以外の情報が見えなくなる脳の働きがあるんですよ。
「スコトーマ」っていうんですけどね!!!!
私はもう最初に見たド派手な集団を見て「この大学はド派手な奴らが多いんだ!!!」という
思い込みにとらわれてしまい、ほかの学生たちが全く見えなくなっていたんです・・・
このスコトーマ、このようにマイナスに働くこともありますが、
プラスに働くこともあります。
それは「何かの目標を達成しよういとするとき」です。
心の底から「私は〇〇を絶対に達成する」と思い込んでいると、
次々にそのために必要なアクションとか可能性が目につくようになるんですよね!!!
スコトーマも使い用ですね♡
結局、私は入学式で誰ともしゃべらず、
誰とも友達にもならず、
式が終了してすぐに家に帰りました…
もう不安しかありませんでした。。。。
入学式が始まる前まで
「私のモラトリアム!自由が始まる!!!」とか超意気込んでいたのに・・・
入学式終了後は、
「だめだ・・・・自信がない。。。。」
感情は完全に沈んでいました・・・
私のコミュ障が発動しました・・・
まだこのときは今の私を知っている方では想像もできないほど
人見知りで、めちゃくちゃコミュ障でしたwwwwww
それがこの大学生活で変わっていくのですが・・・・!!!
大学入学式初日でもう、ネガティブモードになった私。
もう頭の中は「どうしようどうしよう。。。。大学生活うまくいくのかな、
友達出来るのかな。。。。」という不安ばかりで席巻していました。
頭の中に「女装しよ」などということなどいったん
私の頭の中の消しゴムが発動して忘れるくらいに。
思い浮かんでいませんでした・・・
一体どうなってしまうのか!?!?!?
次回に続きます!
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回までのお話
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